6/13追記:訳語を一部変更しました。
conversational media:対話メディア→カンバセーショナルメディア
conversation:対話→会話
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John BattellesのSearchblogのエントリを翻訳してみました。冒頭の導入部と、細かいつぶやきは略しました。長いので、まずは最初の3分の1だけどうぞ。大きな誤訳を発見したときはコメント欄で教えてください。細かいのは見逃してください(笑)。
「カンバセーショナルメディア(会話メディア)」(post
1, post 2 )をメディア業界の重要な新カテゴリと捉えるなら、このメディアの収益モデルを明らかにする必要がある。カンバセーショナルメディアを支える経済モデルとは、どのようなものなのか?
(略)
私が18カ月前に立ち上げた企業Federated Media Publishing (FM) では、カンバセーショナルマーケティングの話がよく出る。理由は単純。FMのパートナーサイトはすべて、カンバセーショナルメディアサイトだからだ。こうしたサイトはサイトの著者、作者、サイトそのもの、あるいは他の読者やユーザーと会話をする熱心な読者/ユーザーのコミュニティによって支えられている。ProTrade、Boing Boing、Digg、Dooce、Real
Travelといったサイトは、こうしたカンバセーショナルメディアサイトのほんの一例にすぎない。
FMの初期のモデルを考えていた時、私はこうしたサイトでは著者とオーディエンスの間、あるいはオーディエンス間では活発な会話が行われているが、著者/オーディエンスとマーケターの間にはまったく会話がないことに気づいた。FMの構想を練っていた2004年時点で、私がカンバセーショナルメディアの典型と考えていたサイトはほぼ例外なく、マーケティング面では孤立無援の状態にあった。なぜか?
そこには実際的な理由があった。ひとつは、こうしたサイトがばらばらに存在していたことである――つまり、スケール感がなかった。マーケターはスケールを必要とする――現在のマーケティングの仕組みでは、個々のメッセージやキャンペーンのために何百、何千ものサイトを買い、管理し、ROIを分析することはできない。コストと時間がかかりすぎるからだ。オンラインマネーの大半がYahoo、Google、AOL、MSNといった一握りのトッププレーヤーに集中したのはそのためである。
第二に、質の問題があった。マーケターは質の高いコンテンツやコミュニティと関連付けて、自分たちのメッセージを伝えたいと考えている。しかし、新しいブログやソーシャルネットワーキングサイトが毎月、数えきれないほど誕生する現状では、最高のものをどう見極めるかが重要になる。マーケターは雑音から信号を聞き分けるための支援を必要としていた。
第三は、安全性の問題だ。結局のところ、カンバセーショナルマーケティングの肝は会話にある。しかし、有名ブランドのマーケターたちは自分のブランドがからかいや批判、罵声の対象となる可能性をなるべく排除しようとする。手短に言えば、彼らは会話に参加することに慣れていなかった。しかしブランドとは、つまるところ会話ではないのか? これは興味深い現象だ。
最初の2つの問題を解決するためには、複数のサイトをひとつのグループにまとめることで、ある程度のスケール、質、完全性を実現する必要がある。3つ目の問題はもう少し厄介だ。しかし、この一年ほど、さまざまなブランドや代理店と議論を重ね、多くの人と意見を交換し、この分野のリーダーたちの動きを観察した結果、いくつかの実に興味深いパターンが見えてきた。
カンバセーショナルマーケティングの例を紹介しよう。15年以上前から、私はあらゆる商業出版物は3つのコア集団の会話だと主張してきた。すなわち、「著者」、「オーディエンス」、「広告主」である。こうした出版物の中でも、特に高い評価を得ているものは共通の堅固な文法と、3つのコア集団が理解し、尊重するような意見を持っている。「Wired」を例にとろう。Wiredはアンケートを実施し、読者にWiredを読むことで得られる利点は何かとたずねた。すると、「広告」が首位に迫る位置につけた。なぜか?
Wiredのエディトリアルは強い力を持ち、読者が共感し、夢中になるような意見を展開していた。確かに万人受けはしなかったが、偉大な考えとはそういうものだ。信じにくいかもしれないが、広告主も人間にすぎない――Wiredの広告主の多くはWiredの読者であり、彼らもまた、この雑誌が体現する市場やアイディアに夢中になっていた。事実、Wiredの広告主の多くはWiredの視点を共有していただけでなく、Wiredの意見を楽しんでいた。彼らは自社の製品やサービスを通して、自分たちはWiredが体現している会話に積極的に参加しているのだと感じていた――彼らはデジタル革命と、その社会的影響に関する重要な会話に参加していたのである。
すると、不思議なことが起き始めた。広告にWiredの文法と意見が反映され始めたのだ。確かに、こうした広告の中には単にWired風のデザインや言い回しをまねただけの安っぽいものもあった。こうした広告は調子はずれで、大げさで、中途半端だった。しかし、それを補って余りあるものがあった――会話への参加である。こうした企業はWiredの会話のルールと価値を理解し、会話を尊重し、適切な形で自分たちの意見を述べた。その結果、広告はWiredを読む価値の相当部分を占めるようになり、その事実はアンケートの結果で証明された。
Wiredはマーケターが適切かつ有益な形で間接的な会話に参加したよい例である。FMの構想を錬りながら、私はこのアイディアをオンラインで進化・拡張させることができるはずだと考えた。かつてCluetrainがわれわれに教えてくれたように、広告は必ずしも「時間の止まった宣言文」である必要はない。テレビや印刷物ではそうだったとしても、オンラインでなら会話を続けることができる。対話を深め、自由に議論を進めることができる。
しかし、会話に参加するためには言うべきものを持っていなければならない。独自の文法や意見を持つカンバセーショナルメディアサイトで、いきなり大声で会話を始めるような無粋も許されない。まずはそのサイトの価値を理解し、そのサイトの文脈に沿って、何らかの価値をオーディエンスに提供する必要がある。
ここにも検索が関わってくる。検索広告のすばらしいところは、多くのサイトに会話の要素を加えたことだ。少なくとも検索サイトには会話の要素が加わった――Googleで自分が知りたいことを宣言すれば(つまり、話の口火を切れば)、Googleはその第一声にしたがってサイトを再構築し、たいていは関連度の高い広告を表示することで、ユーザーの経験をより豊かなものにしてくれる。
もっとも、シンジケート型の検索広告ではことはそううまくは運ばなかった――AdSenseが検討違いの広告や的外れな広告を表示した例は枚挙に暇がない。それでも、さまざまなコンテンツ――特に特定の製品やカテゴリに特化したサイトでは、AdSenseはサイトの会話に合った広告を表示することに成功した。
それに対して、コンテンツが頻繁に変わるようなサイト、異なる種類の情報が混在しているサイトでは、AdSenseのような広告ネットワークは不利になる。1時間ごとに変わるコンテンツの横に、常に適切な広告を表示するのは難しい。こうした広告はまったく関連性がないわけではなかったが、すべての参加者、特にパブリッシャーを健全な会話に引き込むだけの関連性はなかった。多くのブログやその他のカンバセーショナルメディアサイトでは、有効CPM(広告表示1000回あたりの収益)は1ドルのはるか下方をさまよっていた。それは副収入としては悪くないものだったが、著者の生活を支えるだけのビジネスに発展することはなかった。
和訳の続き(2/3)へ
原文:Conversational Marketing: PGM v. CM, Part 3 (from Searchblog, by John Battelle)